陸上自衛隊物語第4話【初めての野外訓練】

こんにちは。

 


僕は2019年6月まで陸上自衛隊の幹部として国防の仕事をさせていただいておりました。

そして下記のような理由で退職をしました。

・新たな挑戦をしたい

・違う世界も見てみたい

この記事を書いている今は退職してから、4ヶ月ほどが経過したときです。

陸上自衛隊には感謝してもしきれないほど感謝しています。

なぜなら、どうしょうもない不健康デブ大学生だった僕を人間として成長させてくれたからです。

一般の世界に戻ってきて思うのは

自衛隊での経験話は貴重で外部の人にとってめちゃくちゃ価値があるということです。
普通に話してるだけでもウケたり、めちゃくちゃ関心持たれたりします。
辞める前も後も、自衛隊に関して聞かれる機会が多いです。

そこで僕はこのブログにおいて、

「自衛隊生活で学んだことや体験したこと」

を少しづつ書ける範囲で残していこうと思いました。
※ 言えないこともあります。

幹部候補生学校はいろんな事がありましたが、マジで行ってよかったです。

控えめに言って最高でした。

 

今日はそんな幹部候補生学校でのはじめての野外訓練について書いていきますね。

 

マジで凄まじいですが、人間として本当に大切なことを学べました。

それではどうぞ。

厳しい日常生活

入隊してから約1ヶ月間は鬼のようにきつい毎日でした。

生活リズムがはやすぎる。

飯5分。風呂5分。常に移動は走り。

ベットメイキングや畳むのが汚いとベットがひっくり返っていてまたやり直してさらに時間がなくなる。

それで遅れれば連帯責任でクラス全員で腕立て伏せとかとか。

常にストレスがたまりすぎてあまいものがたべたくてしょうがない状態でした。

 

最初の二週間くらいでけっこうな人数の仲間が去って行きました。

 

やっと自衛隊というか「陸上自衛隊幹部候補生学校」の生活に慣れてきたと思ったら、そこに待ち受けていたのは

 

山での野外訓練と宿営でした。

 

僕の当時の日記は下記です。

 スピード感に慣れてきたと思っていたがまだまだだった。

日常生活でのスピードは慣れても野外訓練においては全く通用しなかった。

体力と気力面も全くついていけない。途中のハイポート(銃を持って全員で声を出して炎天下を走った)のときは本当に脱水で死ぬかと思った。

そんな時でも仲間を引っ張ろうとする防衛大の同期を見て自分もああやって「自分がきつい時に人を助けられる強い人間になりたい」とおもった。

もっともっと成長していくためにくらいついていこう。

 

けっこうまじめですね笑

 

そんな日記が生まれた第一回目の野外訓練をおもいだせるはんいでかいていきます。

 

 

準備

訓練が近づくにつれて、学校での授業は校庭での科目が増えていきました。

・天幕(テント)のはり方

・戦闘行動の基礎動作

・射撃姿勢の基礎

・分隊行動

などなど、、、、

 

全てがはじめての僕らに対してやはり防衛大卒の同期はめちゃくちゃ慣れていて「早い」「正確」

 

そしてさらにレンジャーバッチをつけている教官たちはその上をいっていた。

 

毎日の課目の中で少しづつ上達していくものの

「ぜんぜんだめだ」

「銃の重さがちがうんじゃないの?」と思うほどのスピードの差を感じながら本番に向かって行きました。

 

防衛大卒の同期や教官は厳しくも、愛のある形で一生懸命に教えてくれました。

 

そして本番はやってきます。

 

仲間と共に最大限の努力をしていよいよ初めての野外訓練に向けて出発です。

 

おおきな自衛隊用のトラックの荷台にのりこみました。

乗り込んだというよりは、37人くらいの仲間と荷物や武器が詰め込まれました。まるで人間としてではなく荷物として積載されたというのが正しいかもしれません。

移動中は暑さと銃の重さと密閉されたことによる酸素の薄さで死にそうになりました。

 

灼熱と砂埃

到着後はすぐに区隊(クラス)の健康状態を掌握して報告です。

教官‘:下車ー!」

候補生(僕ら):「下車ー!」「速やかに整列!」

代表候補生:「第O区隊総員37名事故なし現在員37名健康状態変化なし集合終わり!!!!」

教官:「速やかに天幕設営したのちに30分後に訓練準備完了して現在地に集合。まぁたのしんでちょうだいよ!」

 

候補生:「はい!!かかれ!!」

 

教官はこれから僕たちに起こる厳しい状況を予想したような笑みでした。

 

ただでさえ暑くて、そして身につけている武器とか装具でストレス爆発しそうなのに、これから起こる訓練を思うだけでしんぞうのばくばくが止まりませんでした。

 

しかも30分で宿営準備と飯までおわらせてとか

「もう勘弁してくれという感じでした。」

 

灼熱の中で大急ぎで仲間と協力してなんとか宿営準備とめしを終わらせて集合完了しました。

 

「まさかおわるとは!!おれたち少し成長してるかも!!」

と喜んだのも束の間。

 

集合完了報告は2分オーバーしていました。。。

 

全身を武装した形で砂ぼこりをかぶりながら腕立て伏せです。

腕がパンパンでした。もう限界で動かない仲間もいました。

 

「がんばるぞ!!」仲間の声が聞こえます。

なんとか回数をこなして宿営地域から訓練場への出発準備完了です。

 

ぼくは「え?訓練これから?むりやん。。。」という内心でした。

 

脱水

そこで教官からさらに絶望の一言が発せられました。

 

「君たちが遅れた時間を取り戻すためにここから走って行くぞー。」

 

一瞬ですが奇妙な魔が空いて

「はい!!!!」

 

マジで無理だと思いました。

暑さと重さと砂埃で口の中から水分が消えていました。

とりあえず水飲んでからにしたい。そう思った時教官がそれを察したかのように言いました。

 

「水は教官の指示があった時だけのんでいいからな。」

 

「。。。。。はい!!!!」

 

じゃあいくぞといって、教官が先頭を走り出しました。

代表候補生が掛け声を出して僕たちも銃を持ってはしりだしました。ハイポートのはじまりです。

 

「イッチ、イッチ、イッチニー」「ソーレイ」

「イッチ、イッチ、イッチニー」「ソーレイ」

 

教官:「声小さい奴いたらまた腕立てなー。」

僕ら:「ウォーーーーーー!!」

「イッチ、イッチ、イッチニー」「ソーレイ」

「イッチ、イッチ、イッチニー」「ソーレイ」

仲間

30分ぐらい走ったでしょうか。

 

 

口の中の水分という水分が消えて、砂ぼこりしかない状態で意識も朦朧としていました。

 

 

今思えばよく走っていられたな。よく立ってられたなという状態でした。

 

 

その中で一人の仲間が過呼吸気味に倒れました。

 

サポートの教官に立たされてこう言われていました。

 

「お前一人のために区隊全員が苦しい思いをするんだぞ?いいのか?それで。」

 

その仲間は立ち上がり、また僕らと一緒に走り出しました。

 

そいつがまた倒れかけた時、僕はすごい光景を見ました。

防衛大卒の同期が何も言わずにそいつの銃を持って走り出しました。もう一人は背中を押してました。

 

その防衛大生だってキツくないわけでは決してありません。

 

 

でも、個人ではなくこの区隊・部隊として全員で助け合うんだという気持ちが彼らには当たり前のこととしてあったのです。

 

 

僕だってすぐに倒れたかったですけど、あれ見たら無理ですわ。

てか自分弱すぎだろ。自分のことしか考えてないわ。情けない。

そんな気持ちになりました。

 

これが命をかけて国のために戦う仕事の教育機関なんだと肌で感じた瞬間でした。

 

そして苦しくて死にそうながらもその光景で走るパワーが湧き上がり、ここに来て良かったと思いました。

 

やっとの思いで僕らの区隊の訓練場にたどり着きました。

教官:「右向けー止まれ!健康状態異常あるものいるか?」

 

 

僕ら:「。。。。。。なし!!!」

 

僕は内心で「異常しかねーだろ。もう限界だ」と叫んでいました。

 

でもそれ以上に「やっと水が飲める!やっとだ!!はやくのみたい!」という思いが強かったです。

 

教官:「じゃあ水分補給な。」

僕は天国に来た気持ちになりました。

水を飲んでいいということがこんなにも救われる思いがして幸せになれることなんだと。

 

しかし教官はこのように付け加えました。

「一人キャップ一杯な」

 

え?

ペットボトルの蓋くらいの量やん?え?

 

ぼくは信じられませんでした。

でも教官たちは厳しい目で僕ら一人一人を見ています。

諦めてキャップ一杯の水を飲みました。

 

涙が出そうなくらい美味しかったです。

「もっともっと浴びるくらいのみたい」という気持ちを抑えて水筒を装具の中にしまいました。

 

まだまだこれからだ。

 

 

そこからは具体的な戦闘訓練の基礎に入りました。

こっちは頭を使って考えたり、教範(教科書)にあることを実際の現場でやってみるということだったのでそこまで体力精神的にきついことはありませんでした。

 

ただ頭はほとんど働かない状態でしたが、防衛大生は何事もなかったかのように訓練をこなしていました。

 

 

まじですごいなとおもいました。

 

そんな日々を3日間送って最後の日はもう生きた心地はしていませんでした。

 

あんな汗と砂だらけで風呂にも入っていません。

夜は雨が降って、水に体が半分浸って寝ていました。

 

 

それでも疲れているので寝れました。にんげんってすごいなーと我ながらに思う毎日でしたね。

 

 

気づき

そして学校にもどるバスの中で僕はこんなことを思いました。

 

 

人生でこんなきついことやったことなかったけどなんで乗り越えられたんだろうか。

 

 

普通に考えて逃げ出すだろ。誰も逃げ出さないってすごいことだよな。

 

なんでだろ。

 

こたえは簡単でした。

 

 

仲間がいたからです。一人じゃなかったからです。

 

実は訓練の前に教官陣のとっぷである区隊長からこんなことを言われていました。

 

今回の訓練の要望事項は「助け合え!」だぞ!

 

 

僕は訓練が終わってやっとそのことに気づけました。

誰かが倒れそうな時、自分がきつい上でそいつをみんなで助け、また、他のやつが折れそうになった時はみんなで声を掛け合って乗り越えていく。

 

 

これって小学校の道徳でやるようなことですよね。

でも僕はこの訓練の中で本当に自分が限界の中で隣の奴を助ける人間をはじめてまじかで見ることができました。

 

あまりにも綺麗事すぎる教育ですがそれを徹底敵にやるのがこの陸上自衛隊幹部候補生学校でした。

 

 

なぜなら、将来は部下を率いて国のために戦う幹部自衛官を育てる場所ですから。

 

 

物凄い人間教育の現場に来れたことへの喜びがありました。

もちろん身体はヘトヘトでしたけどね。

 

でもこの訓練を通じて先の訓練や教育が少しだけ楽しみになったことは事実です。恐怖の方が遥かに大きかったですけどね。

 

 

おわり

ということで今回は以上になります。

 

 

この時の僕にとってはこれがめちゃくちゃにキツくてやめたいくらいに思ってましたが、今思えばなんのことはない訓練でした。

 

 

 

なぜならこの先に想像もつかない苦しさが山ほど待っていますから・・。

 

 

 

それでは次回をお楽しみに。

最後まで読んでいただいてありがとうございます!

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