ニュージーランドから帰国して、バタバタと日本各地を移動する日々を過ごしています。現在は奄美大島におりますが、久しぶりの日本では東京や静岡県を中心に様々な場所を訪れました。
改めて感じるのは、日本の食事の美味しさ、そして丁寧なサービスの素晴らしさです。本当に感動しています。こんなに素晴らしい国だったんだと、再発見の連続でした。
日本を満喫していたら、ブログを書くのがすっかり久しぶりになってしまいました。今回は、ニュージーランド生活の3年間を振り返ってみたいと思います。
山の中での新しい暮らし
都会の中で暮らしてきた僕にとって、長期での山の中での生活は初めての経験でした。山梨で暮らしたこともありますが、あそこまで大自然とは言えません。
ニュージーランド南島のクイーンズタウンは、現在多くのアメリカ人が移住してきている地域です。家が見えないほど広い敷地の中に大富豪の家が建っているような、そんな光景がたくさんありました。
この3年間で家の値段は約2倍に上がり、どんどん新しい家が建ち、住宅街や街が広がっていきました。食料自給率が高く、地政学的にも安定したニュージーランドは、まさに「現代のノアの方舟」とも言えるのかもしれません。
出会った人たち
現地での生活を通じて、多くのフルリモートで働くアメリカ人たちと話すことができました。
コンサルティング会社やITセキュリティ会社の役員、ビッグテック企業の人たち。以前読んだ「Sovereign Individual」という書籍に書いてあった通り、ニュージーランドは現在、多くのアメリカ人たちの避難先となっているということでした。
そして、ある意味でそこは楽園のようなものでした。
治安の良い街
北島のオークランドや他のニュージーランドの街や都市は治安が悪化しているという話を友人から聞きましたが、クイーンズタウンは違いました。
出かけるときに鍵を開けっ放しでも大丈夫。財布をどこかに置き忘れても戻ってくる。驚くほど治安の良い街で、現代の楽園とも呼べるような場所でした。
ただし、物価はニュージーランドで一番高く、家賃も一番高い地域でした。レストランやホテルももちろん、ものすごい値段です。
これは、クイーンズタウンが富裕層たちの別荘地域、もしくはバックアップ地域になっているということです。そこには「物価」という見えない壁が存在していました。
僕がどのように入ったか
別に大した能力があったわけではありません。現地のレストランで就労ビザを取得することができ、友人にも恵まれ、地域コミュニティにも溶け込むことができて、素晴らしい生活を送ることができました。
ビザはまだ残っていましたが、やはりいろいろな国や地域で暮らしてみたいと思い、現在は日本に帰ってきて次の国へ行くための準備をしています。
ニュージーランドでの暮らしの中で、どこでも仕事ができるような環境を構築することができました。
健康について、改めて
健康についても、改めていろいろな気づきを得ることができました。
日本にいた頃は、毎日ラーメン生活を続けて肌や体の様々な場所にできものができてしまい、そこから健康に目覚めました。あらゆるサプリメントを試したり、検査を受けたりもしていました。
症状は一気に改善し生活も変わりましたが、やはり日本社会における仕事の中でストレスがすごく溜まり、考え直さなければならないと感じました。当時読んだ本がきっかけで、ニュージーランドに移住することにしたのです。
人生を楽しむ人たち
そこで暮らす人たちは、大自然の中で仕事というよりも「人生を楽しんでいました」。
日々の食事を自分で作り、薪を割って暖炉を焚き、夏は湖沿いでみんなでバーベキューをする。
そんなニュージーランド生活で、改めて「本当の健康とは何か」ということを見つめ直すことができました。
日本にいた頃の僕は、健康を「問題を解決すること」だと思っていました。数値を改善すること、症状をなくすこと。それが健康だと。
でも、違ったんです。
ニュージーランドで出会った人たちは、健康を「生きる喜びそのもの」として体現していました。朝、湖のほとりを走る。友人と山に登る。新鮮な食材で料理を作り、大切な人たちと食卓を囲む。
そこには、検査の数値も、サプリメントの数も関係ありませんでした。ただ、生きていることの喜びがありました。
この気づきは、僕にとって衝撃でした。
データと体感のバランス
それまでの僕は、データにとらわれていました。もちろんデータも本当に大切なんですが、それ以外にも大切にしなければならないことがたくさんあると教えてもらいました。
友人との時間、家族との時間、誰かと一緒に山に登って、テントで寝る時間。
星空の下で友人と語り合った夜。嵐の中、テントを張って一晩を過ごした経験。早朝、霧の中を走り抜けた時の静寂。
そういう「生きている」という実感が、実は何よりも大切なものだったのだと気づきました。
データは確かに重要です。客観的な指標は、自分の状態を知る上で欠かせません。でも、データだけを追いかけていては、本当の健康は手に入らない。
逆に、体感や経験だけにとらわれると、いつのまにか主観に陥ってしまい、身体のバランスを崩してしまうこともあります。
つまり、どちらも大切なのです。
データという羅針盤を持ちながら、同時に、心と身体の声に耳を傾ける。この両方があって初めて、本当の健康に近づけるのだと、ニュージーランドでの暮らしが教えてくれました。
健康は楽しい人生を歩むために
現地でランニングコミュニティをボランティアで主催している友人が、こう教えてくれました。
「健康は、楽しい人生を歩むのに不可欠なもの」
この言葉は、僕の中で何度も何度も響きました。
まずは自分の心と身体が健康であること。それが全ての土台になる。
そして、その健康は自分だけのものではない。自分が健康であることで、周りの人への気配りができる。愛を持って接することができる。笑顔でいられる。
それがエネルギーとなって、周りの人たちに伝わっていく。
友人は続けました。「不健康な状態では、どんなに頑張っても、本当の意味で人を愛することはできない。まず自分を大切にすること。それが、周りの人を大切にすることの第一歩なんだ」
この言葉に、僕は涙が出そうになりました。
日本で働いていた頃、僕は自分の健康を犠牲にして働いていました。それが「頑張ること」だと思っていました。でも違った。自分を大切にできない人は、本当の意味で周りの人を大切にすることもできない。
健康は目的ではなく、幸せな人生を生きるための「手段」なんだと。そして同時に、幸せな人生そのものが、健康を作り上げていくのだと。
そのコミュニティは、夏になると毎週世界中から人がやってくる大人気のランニングコミュニティです。走ることを通じて、人生の喜びを分かち合う。そんな温かい場所でした。
彼とは年始に皇居を走る予定です!日本でも、この温かさを分かち合えることが、今から楽しみでなりません。
これから
世界の先行きが不安定な中で、このニュージーランドでの暮らしは、僕に大切なことを教えてくれました。
次はスペインを目指します!
新しい冒険が、また始まります。




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