芸術・信仰・自由をめぐる旅──ガウディとピカソから始まるバルセロナ旅行計画

こんにちは!
この6月末、スペインのバルセロナへ渡航します。

主な目的は、スペインのデジタルノマドビザ取得に向けた現地実務の打ち合わせです
会計事務所や法律事務所との調整を含めた、比較的“ビジネスライクな日程”が中心です。

人生で2回目のバルセロナですが、短い滞在時間の中での観光プランを立てていく中で、気づけばこの土地の歴史や、そこに根を下ろした芸術家たちの存在に強く興味を持ち、調べ始めると時間があっという間に過ぎてしまっていました
無意識に「この国の成り立ち」や「この都市の魂みたいなもの」が気になり、
そこを代表するガウディとピカソ、そしてカタルーニャという地域そのものの歴史を、深く調べましたので出発前にまとめておきたいと思います。


🎫 いまや「体験」は、争奪される資源となった

まず余談ですが、サグラダ・ファミリアやグエル公園の入場チケットは、2週間先まで完売でした。


オーバーツーリズムの問題と相まって、現代における「体験」はすでに「情報」ではなく「希少資源」として流通し、
どれだけ早く予約をとるかが、体験の可否を分ける時代に入っているのだと思います。

運良くギリギリで予約が取れましたが、、、


🏛 ガウディという建築家が見ていた“もうひとつの未来”

ガウディはサクラダファミリアに代表される世界的に有名な建築家ですが、彼の建築は、ただ奇抜で有機的なフォルムを持っているわけではありません。
むしろその奥にある、**「時間に対する態度」や「自然との協働」**こそが、
現代において再発見されつつある価値観の提示に見えます。

彼は産業革命による大量生産の波に飲まれることなく、
手仕事の美と信仰のリズムを建築に刻み込みました。

現代でいえば、資本主義的スピード感に対する静かなる反抗なのです。
それは今の僕たちにも通じるメッセージだと思います。

サグラダ・ファミリアが「いまだ未完成」であるという事実すら、
時間と信仰を問うための象徴のように思えてきます。

「工場で同じようなものをたくさん作るより、手作りで時間をかけて世界で唯一のものを作る。」

そんな思想が中心にあるからこそ、サクラダファミリアも100年かかってもOKなんでしょう。

グエル公園とサクラダファミリアのチケットは予約できたので、その歴史や思想を基に存分に楽しんで来たいと思います。


🎨 ピカソは“怒り”を手放さなかった芸術家だった

そしてあの有名なピカソもバルセロナで若い時代を過ごしています。

ピカソは単なる画家ではありません。
彼の作品はしばしば、**時代そのものへの「反発」**として機能していました。

フランコ政権への批判、ゲルニカの悲劇、そして亡命という選択。
彼の描線のひとつひとつに、「人類として忘れてはならないもの」が刻まれています

ピカソの絵をただの美術品として眺めるだけでは、その深みには届かないと思います。
むしろ、時代と戦った人間の“視線”をどう読み取るかが、
この都市の空気を掴む鍵になると感じています。

エルボルンの「ピカソ美術館」の予約も取れました。フランコ政権や独裁主義・ファシズムへの批判と飽くなき表現の自由獲得への精神を込めた作品の数々を堪能してきます。


🕊 カタルーニャ──国家という概念を問い直す風景

またバルセロナはスペインであり、スペインではないのです。

この矛盾のような感覚こそが、カタルーニャという土地の特異性だと思います。
独自の言語、文化、政治意識。
そして、スペイン本国と何度も衝突してきた歴史。

旅人であっても、この土地に立てば“中立”ではいられないということが歴史を見ると明らかです

この街を歩くという行為自体が、
**「あなたは国家という概念をどう考えますか?」**という問いなのかもしれません。自分の国に誇りを持つとはどういうことなのか?

一人の日本人として「誇り」という言葉の意味をカタルーニャの土地と人々との触れ合いの中から探ってみたいと思います。


🕍 「民の手で築かれた教会」が語るもうひとつの信仰

「サンタ・マリア・デル・マル教会」にも足を運ぶことにしました。

「海のカテドラル」という世界的ベストセラーの小説のNetflixドラマをみて予習します。

ここは王侯貴族ではなく、民衆の手によって築かれた教会です。
労働の汗と祈りが積み上がってできた聖堂には、
ガウディとは異なる形での“信仰と共同体”の姿が刻まれています。

事前に物語を知ることによって、
その建築に込められた「物語のレイヤー」を解像度をもって見ることができると思います
この予習は、単なる観光の準備ではなく、旅の感動の受信装置を磨くことでもあるのです。

多くの外国人が日本の神話や神道及び武士道について深く理解してから日本に来るのと同じ構造なのです。もはや日本人よりも詳しい外国人に何度も会いました。

ニュージーランドのスキー場で知り合い、店の常連さんになった方は、家に日本庭園を作り、毎朝座禅を組んでいるといっていましたよ!笑


🔍 歴史を知ることは、旅の精度を高めるということ

旅先での経験の質は、事前の知識で大きく変わります。
建物の意味、美術の背景、土地の歴史。

それらを知った上で触れる景色は、
“単なる風景”ではなく、“意味を持つ世界”へと変容するのです。

今、僕がこうしてスペインの歴史や芸術を調べているのは、
単なる観光のためではありません。
自分という人間が、どのように世界と接続するかを選び取る作業でもあるのです。


📚 準備する者だけが、深い感動にたどり着ける

たしかにこの旅は、ビザのための実務的なものです。
でもその“現地入り”という現象自体が、僕の思考を動かし、
気づけば芸術、歴史、そして政治にまで関心が広がっていました。

これからの時代、ただの旅はもはや贅沢ではなく、“問いをもつ旅”だけが価値をもつのかもしれません。

数年前に訪れたスペイン、バルセロナ。
それは今、僕の中でというか本来の意味として、制度と個人、歴史と未来が交差する座標軸のひとつになっています。

そしてこの旅は、
僕という物語の“次のページ”になる予感がしています。

また現地からも、続きを綴ってみたいと思います。

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