陸上自衛隊物語第3部【死にそうな毎日、走る毎日】

こんにちは。
僕は2019年6月まで陸上自衛隊の幹部として国防の仕事をさせていただいておりました。

そして下記のような理由で退職をしました。

・新たな挑戦をしたい

・違う世界も見てみたい

この記事を書いている今は退職してから、4ヶ月ほどが経過したときです。

陸上自衛隊には感謝してもしきれないほど感謝しています。

なぜなら、どうしょうもない不健康デブ大学生だった僕を人間として成長させてくれたからです。

一般の世界に戻ってきて思うのは

自衛隊での経験話は貴重で外部の人にとってめちゃくちゃ価値があるということです。
普通に話してるだけでもウケたり、めちゃくちゃ関心持たれたりします。
辞める前も後も、自衛隊に関して聞かれる機会が多いです。

そこで僕はこのブログにおいて、

「自衛隊生活で学んだことや体験したこと」

を少しづつ書ける範囲で残していこうと思いました。
※ 言えないこともあります。

幹部候補生学校はいろんな事がありましたが、マジで行ってよかったです。

控えめに言って最高でした。

 

今日はそんな幹部候補生学校の日常の一部を書いていきます!

やめたくて死にそうだったけどあそこで教育を受けれて本当に良かった。

試練の毎日

まじで試練の毎日です。

全て初めてのことばかり。防衛大学の人たちは何もかもが早すぎる。

 

走るのも、生活動作も、喋るのも簡潔で的確、行動一つ一つが咲いて聞かされてるし統一感もある。まさに4年間やってきた奴らは違う。

 

でも仲間思いで本当に優しいです。

幹部候補生学校の毎朝

まず朝6時にラッパが鳴るので、なった瞬間に飛び起きて窓を開けて外に向かって「おはよう」と叫び

ベッドの毛布やシーツを3分以内にめちゃくちゃ綺麗に畳んで、上裸で全力ダッシュで外に出て乾布摩擦をして全員が出てくるまで大声で号令調整というものをやります。

号令調整とは「回れ~~~~~~右!!」「左向け~~~左!!!」みたいな自衛隊の号令をただ叫びまくるというものです。

 

全員が揃ったら、列を整頓して教官に報告です。

「右へ~~~習え!!なおれ~~~~~!!

第O区隊総員OOO名事故なし現在員OO名健康状態変化なし集合終わり!!」

 

これで報告が終わると、みんなで腕当て伏せ。50回ほど。

そのあとは外の掃除。

 

部屋に戻るとベットの畳が甘い人はひっくり返されているのでそれを畳み直す。

 

そしてダッシュで朝食へ行って流し込んで、帰ってきて洗面を済まして朝礼に間に合うように準備。

 

基本的に朝からずっと息が上がってました。

 

緊張し続けます。そして何より4年間このような生活を送ってきた防衛大の卒業生たちは余裕そうだし、早いし、ベッドもめちゃ綺麗にたたむ。

 

それによってさらに焦る。みたいな感じでした。

 

まじで2週間で一般大学卒業生の人はかなりやめてましたwww

 

僕はぎり食らいついてなんとかついていく感じでした。まじで自分雑魚だなと思ってました。

夕方の体力錬成

基本的に昼間の授業や訓練が終わると17:00からは体力錬成。

 

走りまくりました。

 

ここでもとにかく防衛大生が早い。。。。。みんなで走るのですが完全に一般大生はついていけません。

 

しかも彼らは楽しそうという。強靭過ぎますww

僕は必死でした。過呼吸手前でした。いつも夕方が近づくたびに胸がドキドキしてました。

 

「あ~今日も心臓が破裂しませんように。。」

 

・体力検定

・高良山登山走

・藤山武装障害走

 

主にこの3つの激烈キツイイベントに向けた錬成でした。

休日にも山の中にみんなで走りに行きました。走る走る走る、腕立て、懸垂、走る走る走る、、、、、、、、、、、、

繰り返す坂道ダッシュになんども意識が飛びそうになりましたねw

 

教官からは「おい!!自分に負けんのか!?ここで手を抜いて後悔しないのか!?仲間は頑張ってるぞ!!」

という正義の声が響き続けていました。

今でも思い出せます。

そして何よりそういう環境にいれたことに「今は」感謝していますねw

 

とまぁそんな感じの毎日ですね。

他にも戦術や英語の授業や国際法であったりリーダーシップ論であったり武器の使い方とか学ぶことは山のようにありました。

 

ということで今回は日常の一部を書いていきました。

 

次の第4部では地獄のような訓練を紹介していきますね!!

 

 

別の記事でどんどん紹介していきますので今後もお楽しみに!!

 

 

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