お久しぶりです。
ルポシリーズ第7弾です!
こちらのシリーズでは日々の生活の中で見たものや感じたことをその場で書いてメモしたものをそのまま載せます。
そして最後に撮影した写真を載せていきます。
「違和感」を感じる方もいるかもしれませんが、僕の文章の練習だと思ってご容赦ください。
しかしながらこの口調もなかなか難しいのでいつやめるかわかりません!笑
南半球は本格的な冬に突入してきた。
これまでは中途半端な感じで、スキー場の雪も中途半端なつもり具合だったが、今日の朝は明らかにリマーカブル山脈が白い。
風もますます冷たくなってきて、まるで冷凍庫の中にいるようだ。
多くの人は寒さを嘆くのだが、僕にとってはやっと素晴らしい雪の上を滑ることができる喜びでいっぱいだ。
しかも湖では寒中水泳がより一層厳しい環境でできるのだ。これはミトコンドリアを活性化させる大チャンスなのだ。
ミトコンドリアを活性化させることができれば身体のエネルギー生産効率は爆発的に上がり、より溌剌とした毎日を送ることができるようになる。
想像はしていたが、こんなことを職場の人や友人に話したら笑われるだけだった。
しかし今はときおり、健康相談を持ちかけられる。笑
余談は置いといて、こうやって考えると、物事にはいつも表と裏があると思い知らされる。
1つの現象をとっても、見方を変えれば幸福の材料にもなるし、不幸の材料にもなる。
これは僕が多くの地域や移動を続ける中で自然に身につけたものかもしれないが、僕には全ての現象の良い部分しか見えない癖があるようだ。
と最近のニュージーランドの友人との会話から自己認識した。
そして旅には困難と楽しいことがいつも同時にやってくるのだ。
でもそれをどう捉えて次の行動に移すかが、「サバイバル」という意味で非常に大事だと思う。なぜなら、それを不幸だと捉えて沈んでいっては次の行動も恐怖になって動けなくなってしまう。
恐怖になって動けなくなってしまうとどうなるのか。
行動をせずに、自分以外の何かに対して不平を言うだけになってしまう。
そうなれば旅は終わって(止まって)しまうのだ。
なぜこんなことを考えるのかといえば、こんなに美しい、自然豊かな世界的観光地で暮らしているのに、仕事の不満ばかり言う友人の悩み相談を聞いたときに思ったから。笑
そして、自分自身に言い聞かせるようにしている。笑
これはもしかしたら人生という大きな「旅」でも同じなのかもしれない。その答えは僕が死ぬときにわかるのかも。
ちなみに僕は「困ったときにどうするか?」と言うことや、「困らないようにどうするか?」と言うことを想定して「計画を立てる」ということも立派な「行動」だと思っている。
自衛隊時代の恩師が、「構想(イメージ)」は「楽観的」に、「計画」は「悲観的(困ったときのことを想定して)」に作れと教えてくれたのを思い出す。
東洋思想で言うところの「隠」と「陽」ではないが、この対立する2つの世界の交差点にいつも答えがある気がする。それはときに「調和」と呼ばれるものなのだろうか。
最近の夜は、沢木耕太郎さんの「天路の旅人」を取り憑かれたように読んでいる(読み始めて3ヶ月以上経ってる笑)のだが本当に旅とは面白い。
読んでいると「どんだけきつい旅なんだろう」と思うのだが、実在した主人公の西川一三さんは楽しんでいるのだ。
1つ1つ成長する自分を楽しんでいる。
徐々にチベット語が話せるようになる自分を。お寺でのお勤め動作が少しずつできるようになる自分を。
そして、未知の世界に飛び込んでいく自分を。
はじめは旅の基本動作も知らなかった自分が、ヒマラヤを歩いて越えていけるようになる姿を。
そしてそれは他人にどう思われるのかは全く関係ないのだ。
自分の世界で全てを楽しんでいるのだ。結果としては、旅先の多くの人の役に立つ人間になるのだが。
僕もこの先にもいろんなことが待っていると思うが、彼のように日々成長している自分を信じて楽しみながら生きていきたいと思う。
現在はスノーボードと同時に新たな挑戦の準備をしている。
これがどうなっていくかはまだわからないが、日々積み上げていきたいと思う。
QUEENS TOWN湖畔のカフェより
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