2025年6月16日──霧のクイーンズタウンで、朝の独り言

おはようございます!きょうは 6 月 16 日。久しぶりに日記のような記事を書きたいと思います。サムネの画像はジャックスポイントのカフェです。ここはクイーンズタウンの中心部からは離れていますがかなりお気に入りの場所です。友人がマネージャーをやっていたのですが今は退職して別の人がやっていますが相変わらず通っています。

カレンダーを眺めていると、2025 年も折り返し地点を過ぎた事実に軽く眩暈がします。南半球のクイーンズタウンはすっかり冬。夜明け前の空気は刺すように冷え、川面からは白い蒸気が立ちのぼっています。今朝の僕は 1 時にいったん目が覚め、二度寝で 9 時すぎまでぐっすり。原因は明らかです。遅い夕食と iPad での読書──身体は正直ですね。今夜は胃袋の就寝時間を守り、ブルーライトも封印して眠りの質を取り戻すつもりです。


冬が来た。スキー場も開いた。──でも僕は山道具を手放すかもしれない

一昨日、近隣のスキー場がオープンしました。昨シーズンまでの僕は夜明けとともにゲレンデへ向かい、白の世界を滑走していましたが、今年は事情が違います。まもなくヨーロッパへ旅立つ予定があり、愛用のボード一式は状態の良いうちに手放す準備をしています。シーズン初頭に 2 度ほど滑り、道具へ感謝を告げてから新しい持ち主へバトンタッチ──そんな小さな計画を立てています。

気がつけば、ニュージーランドで迎える冬も三度目。朝の散歩道は霧に包まれ、凍える空気の向こうで湖面がガラスのように光っています。立ち止まって吸い込む冷たい空気が肺の奥を洗うようで、いつも「ここに来てよかった」と陽だまりのような気持ちになります。


歩きながら書く──音声入力という“ラジオ”のような執筆法

いまこの文章は、川沿いを歩きながら音声入力で綴っています。走りながら、歩きながら、思いつくまま語り、あとから整える。僕にとってブログはラジオ収録のような即興の遊びでもあります。整えられた旅の記録や栄養学の記事も大切ですが、ときにはこうした“素のモノローグ”を残しておきたくなるんですよね。


満員電車を忘れて三年。自然と共鳴する暮らし

月曜の朝、マウンテンバイクで出勤する人や犬の散歩を楽しむ人が行き交います。ここには満員電車もビル風もありません。都会のリズムから離れて三年以上。身体は自然のリズムと同調し、街の喧騒を思い出そうとしても霧の向こうの景色のようにしか浮かびません。

健康的な暮らしは思考を引き算し、自分の“声”をくっきりさせてくれる感じがします。広告や SNS のフィードを追いかけるより、自分の内側と向き合う方がよほど静かで楽しい。だからこそ、投稿後の反応が気になりがちな SNS ではなく、こうして“ひっそり”とブログを続けることが僕には合っているようです。


よく読まれる記事と、これから書きたいこと

振り返れば、旅の移動手段や国境越えの方法を書いた記事がよく読まれてきました。ネパールの長距離バス、東南アジアの陸路越境、そして陸上自衛隊時代のエピソード──検索で偶然たどり着いた読者からメッセージが届くたびに、「通ってきた道もどこかで誰かの道標になるのだな」と胸が温かくなります。

来週はスペインへ渡ります。ビザ取得に向けた手続きやバルセロナでの街歩き、そしてトランジット先アブダビでの 20 時間の小さな冒険。どんな景色と出会い、何を感じるのか、僕自身も楽しみでなりません。


出会いと別れ、そして“怖いもの”が消える感覚

ニュージーランドで出会った仲間は、世界中に散らばっています。日本へ戻った友人、次のワーキングホリデー先へ向かった友人、旅を続ける友人――それぞれの道を歩む姿を見るたび、「世界は広い。人生は無限にやり直せる」と実感します。そして、どんな困難でも楽しみながら乗り越えられるという不思議な自信が芽生えました。おそらく、いつも助けてくれる誰かが現れると学んだからでしょう。本当にありがたいことです。


終わりに──霧の朝に立ち止まって

足元の落葉は霜で白く縁どられ、遠くの山肌には初雪が淡く残っています。歩きながら紡いだ言葉が、どなたかの朝のコーヒーのような温もりになれば幸いです。次回は、読み終えたばかりの村上春樹の新作を取り上げる予定です。気ままにお付き合いください。

それでは、よい一日を。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です